【隠岐・中ノ島】後鳥羽院ゆかりの地を訪ねる、ゆったり一人旅

編集部かの
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”ごとばんさん”と島民に親しまれる後鳥羽院ゆかりの地・海士町

こんにちは。山陰のタウン情報誌「ラズダ」の編集部かのです。

島根出身&在住にも関わらず、人生で初めて隠岐4島に行ってきた私。今回は「中ノ島(海士町)」へ行ってきた現地の様子をレポートしていきます!

中ノ島(海士町)について

「中ノ島」は隠岐で3番目の大きさで、人口は約2200人。島の周りは約90km。車では約2時間でぐるっと一周できます。

中ノ島は1島1町の自治体なので、つまり中ノ島全体が「海士町」

そして、隠岐に配流されたことで有名な後鳥羽上皇が晩年を過ごされたのがこの海士町。島民からは”ごとばんさん”と呼ばれて親しまれているとか。

2021年は後鳥羽院遷幸から800年の節目で、様々なイベントも開かれたそうです。

海士町で体験したこと

隠岐神社

『隠岐神社』は、当時後鳥羽院がお住まいになっていたお寺跡の近くに創建されました。

後鳥羽院の崩御から700年目の1939年に完成しているので、ほかの神社に比べると比較的新しめ。

ガイドさんのお話を聞きながら見物していると、なんともラブリーなハート形の金具を発見

何だかうれしくなって思わず写真を撮ってしまいました(笑)。

みなさんも隠岐神社を訪れた時は、この隠れハート(?)を探してみてくださいね。

恋愛運にご利益があるとか、ないとか・・・。

隠岐神社に参拝した際には、狛犬にも注目。

よく見ると、子どもの狛犬が親の足元に寄り添っています

隠岐のほかの神社でも子どもの狛犬を見ましたが、隠岐独特の文化なのでしょうか・・・気になる・・・。

隠岐神社の近くには後鳥羽上皇の火葬塚も。

【そもそも】なんで配流先に隠岐が選ばれたの?

歴史の授業で「承久の乱で敗北した後鳥羽上皇が隠岐に配流された」ことは習いました。が、よく考えるとなぜ隠岐に配流されたのかについては知らない!

ガイドさんに聞いてみて、なるほど~となったのでみなさんにシェア。

流刑の地として隠岐が選ばれた理由は、まず「島で自給自足ができている」点。刑に処するといっても高貴な身分の人物が、配流先で食べるものに困らないことが重要だったそうです。

そしてもうひとつの大きな理由が「方角」

隠岐は当時、都があった京都周辺からみて戌(西北西)の方角にあり、いわゆるいい方角だったそう。高貴な方を遠くに流した罰が、刑の執行人などに当たらないようにと、せめていい方角に流すなんて今では思いもつかない発想ですね。

ちなみに、『隠岐神社』の近くには『後鳥羽院資料館』もあるので気になった方はぜひ寄ってみて!

秋は参道が黄金に?宇受賀命(うづかみこと)神社

『宇受賀命神社』は、ガイドブックにもあまり情報がない穴場

私が訪れた時は、ちょうど稲刈り前の季節で、参道の左右に広がる田んぼが黄金色に輝く圧巻の景色!

参拝後、帰る時まで景色が楽しめました。

島の自然が育んだ絶品の隠岐牛ランチ

この日のランチは港近くにある『島生まれ島育ち 隠岐牛店』。

「隠岐牛3品盛ランチ」をいただきました!

サシの入ったお肉・・・美しい・・・。

脂はまったくしつこくなく、おいしすぎて一瞬で食べ終わりました。

【おまけ】海士町は「しゃもじ」だらけ?

海士町内を回っているとあちこちでしゃもじを見つけました。

これは、海士町発祥の隠岐民謡「キンニャモニャ」の踊りに使われるためです。

お土産もしゃもじ推し。

キャッチコピーの「踊れるサブレ―」がめっちゃ可愛い。

バス停もしゃもじ。

海士町(中ノ島)まとめ

今回は半日しか居られなかったのですが、海士町には名所『明屋海岸』、日本名水百選に選ばれた『清水寺』など、ほかにも行きたいスポットがたくさん!

美しい自然と歴史が息づく海士町。ぜひ足を運んでみてくださいね。

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編集部かの

タウン情報ラズダ編集部

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食べることとカメラに夢中で、週末は美味しいものを食べに行くか写真を撮りに出かけまくっている。

新しい場所や定番スポットから、その辺の路地裏や穴場スポットまで、調べて気になった場所にはとりあえず行ってみるのがモットー。しかしキラキラしたこと・ものが苦手なためか、写真のトーンは暗めになりがち…。

特技は路地裏に住む野良猫と友達になること(らしい)。

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