人力の凄まじさを体感。インフラ遺産『掛戸の潮止め水門』
全国的にも希少価値高し。大田市『掛戸の潮止め水門』へ
みなさん、こんにちは。山陰のタウン情報誌「ラズダ」の編集部いしやんです。
突然ですが「インフラツーリズム」って言葉を耳にしたことありますか?
「インフラツーリズム」とは、国や自治体による道路や橋、トンネル、ダムといった公共施設・土木建築を見たり、体験したりする内容のこと。最近、じわじわと注目を集めてるらしいんです。
そんなわけで、今回紹介するのは大田市のインフラツーリズムのひとつ『掛戸(かけと)の潮止め水門』。
一見すると、眼鏡橋のような見た目以外の魅力が伝わってこないのも、ある意味、インフラツーリズムの魅力!(?)
実はこれ、全国的にも希少価値が高い土木遺産。
さらに言うと、このあたりは、かつての大工事の痕跡が残る、往時の人たちの血と汗の涙の結晶なんです。
『掛戸の潮止め水門』の場所、駐車場
『掛戸の潮止め水門』があるのは、島根県大田市久手町。JR山陰本線の線路近くにあります。
ナビを設定する際は、大田市有数の景勝地、夕日スポットでもある『掛戸松島』を設定して向かいましょう。
近くに来ると看板が立っていて、すぐそばに車を数台とめられそうなスペース(砂利)があります。
人力で山を開堀!大工事と大自然の営みが生み出した絶景
『掛戸の潮止め水門』を紹介する前に、水面ににょきりとそそり立つ『掛戸松島』の紹介から。
かつてこの場所にあった波根湖では、度々、氾濫が起き、周辺に住む人たちは困り果てていたそう。そこで、鎌倉時代の徳治元年(1306年)、地元の郷土有馬次郎左衛門一政と、2代目・次郎左衛門尉宗茂の二人を中心に、約7年もの歳月をかけて大規模な治水工事が行われました。
その工事の内容が壮大で、山を掘削して切り開き、湖水の水を海へ流すというもの。重機がない時代、これらを人力で・・・!
ロマンしかない。
海の浸食によって、人工の跡はほとんど見られなくなっていますが、自然の力、そして往時の人たちの熱い想いと力によって、海面にそそり立つ『掛戸松島』の絶景ができあがったんですね~。
こうやって成り立ちを知ってから見る景色は、ちょっと感慨深いものがあります。
いよいよ本題、『掛戸の潮止め水門』。こちらは大正7年(1918)に建造された眼鏡型の水門。
「潮止め水門」とは、川や湖などに海水が流入しないよう遮断する水門のこと。
「しまねインフラツーリズム」のインスタグラムによると以下の通り。
希少な石造り多ゲートが残る眼鏡型潮止め水門。
この潮止め水門は、波根湖干拓に伴って建設されたものです。
1306年に、湖水の排水のため、湖と海の間にある高さ約50m近くの丘陵地を幅50mにわたって開削したとされるのが、現在の掛戸です。
特徴的なのは、ゲートの数とその造り。
国内に現存する多ゲート水門の内、石・煉瓦水門は、熊本、愛知とここにしかなく、現存するゲートが8門、コンクリートで閉塞された箇所も含めると12ないし13門のゲートがあったとされる点は、希少価値の高い存在。
また、他の水門ではアーチ開口部だけは、煉瓦造りであるのに対し、ここ掛戸の水門はアーチ部までも石材で構築されている点でもとても稀で、先人の精巧な技術を見ることができます。
100年以上経った今なお、当時の姿を今に留め、そして郷土の文化・歴史を伝えています。
ゲートの数と、その造りが全国的にも希少価値の高い『掛戸の潮止め水門』。
昭和26年にその役目を終えた土木遺産。一見すると、ただの石橋だけども、そこに秘められた歴史をひも解いていくことで、遺産の価値がじわじわと広がっていきます。(噛むほどに味が出るというか・・・)
ひょっとすると、それこそが「インフラツーリズム」の醍醐味なのかもしれませんね~。
掛戸の潮止め水門
カケトノシオドメスイモン
住 所:島根県大田市久手町 [MAP]
営 業:見学自由
駐 車:あり
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この記事を書いた人
タウン情報ラズダ編集部
編集部いしやん
島根・鳥取のタウン情報誌ラズダ編集部スタッフ。島根県松江市出身→浜田市→大阪→奈良→松江市在住。
「日刊webラズダ」では編集デスクを務めています(ただの机です)。喫茶店の冷えたおしぼりと、帽子が大好物な三十路。
日刊webラズダでは主にグルメ、ショップ、キッズ関係の記事を担当しています。あ、あとバツイチ&2児のシングルファーザーです。(←どうでもいい??)
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